美寿志の歴史 / MISUJI History

握り鮨は「握早漬」と呼ばれ江戸中を席巻し、江戸時代の終わりには、ほとんどの鮨屋が握り鮨を商うようになっていました。

そんな時代の中、1855年(安政2年)美寿志(みすじ)は開店しました。店を構えたのは現在の東銀座である木挽町です。

参勤交代制度による諸藩大名の江戸と地方領地間の往来は、地域特産品の交流を促し、新たな食文化の兆しを見せました。
食は日常生活の潤いとなり、特に江戸湾やその周辺河川から獲れる豊富な水産物が、市民の食生活に多様化をもたらしました。
この時代の中、藩の料理人であった小池又三郎は江戸の新鮮な魚介類を活用した寿司を、参勤交代で訪れた大名や家臣に提供することを目指し創作に至りました。

彼の開発した手法は、酢で味付け保存した魚を小さく握ったご飯の上にのせるというもので、この独特の食べ方は後に、今の銀座周辺で「美寿志」と名付けた屋台を通じて一般庶民にも普及します。
明治時代になると「美味い寿司を美しく盛り付け、末永く客人をもてなす」という初代の志を脈々と受け継ぎ
幻の握りの技法「本手返し」を完成させました。
これは握りの古典的な技法で、すべての握り方の原点とも言うべきものです。
現代、多くの職人が使う“小手返し”はこの本手返しの前半の工程を省いた省略形であります。


昭和初期には、魚介類を新鮮な状態で長期間保存する技術の進歩に伴い
ふっくらとした酢飯に新鮮な刺身を乗せて提供する現代の江戸前寿司が登場します。
この新しい形式は、銀座において特に評判になり、そこから全国に広まりました。

この流れの中で「美寿志」で修行を積んだ寿司職人たちが独立し、新たな寿司店を開業。
中には「銀座久兵衛」の初代親方の今田壽治氏、「寿司幸本店」の二代目杉山宗吉氏、「日本橋寿司金」の鈴木守氏等、現在も高い評価を受ける有名店も含まれています。
このように、参勤交代が引き起こした文化的交流は、寿司という食文化の発展において重要な役割を果たし、現代に至るまでその影響が色濃く残っています。

歌川国芳「縞揃女弁慶 松が鮨」(部分拡大) 天保15年(1844) 東京国立博物館蔵 出典:ColBase
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